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本稿のバイク事故は忘れもしない1995年( 平成7年 )7月10日か11日の朝、不肖この私めがまだ20代だった頃の実話である。
死なずに今でも命があるのは運もあるが、度重なる事故で転倒した瞬間、無意識てきに「 受け身 」が取れたからだろう。
( 上の動画は同じ車種だが、事故とは無関係です )
その日の朝は遅刻ギリギリで自宅を出て焦っており、通勤途中で茨城県取手市の職場に向かう道路を、TOP画像の手前に写っているバイク( 単車 )「 Kawasaki/ZRX-II400 」で、かなりのスピードで飛ばしていた。
そして茨城県守谷市に有る、いったん赤信号で掴まると長い時間待たされる「 市民交流プラザ前 」の、交差点に差し掛かろうとしていた時…!
チラッ!と一瞬スピードメーターに目をやると一般道路でも有るにも関わらず速度計の針は、なななんと「 160Km 」を指していたっ!
そして、市民交流プラザ前の交差点の信号が黄色から赤に変わろうとしていたので、「 ここで赤信号に掴まったら会社に遅刻だ! 」と言う心理的な焦りから、そのまま強引に侵入していってしまったのである。↓
だが…まさにその瞬間だったっ!!(;・∀・)
市民交流プラザ前の交差点は中央部分が若干盛り上がっている、いわゆる「 わだち 」状になっていた為に160Kmの猛スピードで進入したオートバイは、まるでモトクロスのレースバイクの様に地上から1~2mくらいの高さまで大きくジャンプしてしまったのであるっ!
上のGoogleマップでは、一切の嘘偽りなくガチマジでバイクは画面上の交差点から、画面下の歩道橋まで逆さまの状態で火花を散らしながら滑って行ったので有る。↓
自分では意識していないが、無意識で取った「 受け身 」も命を救う要因の一つであった。
サスガに、わだちで弾かれて浮いた空中ではガチで、メチャクチャ焦ったっ!
160Kmからのノーブレーキングで空中に投げ出された上に、そこで左に傾いてバランスを崩した状態は、とても尋常ではいられない。
それでも、どうにか空中にいる間に左に傾いた体制を立て直し、真っ直ぐな状態で着地出来ればと考え、一生懸命に態勢を立て直そうとはしてみた。
だがしかし、その努力も虚しく徐々に近づいてくるアスファルト舗装の地面ーーー…
「 …終わったな… 」
その時の心の中でTwitter( 当時は、まだ無いが )の如くつぶやいた完全な諦( あきら )めの境地は、あの事故から21年半たった今でも鮮明に覚えている。
実はアスファルトの地面に叩きつけられ前に、うまく着地出来れば助かると思っていたのだが…しかし甘かった!!
だが、この後の強運たるやまさに「 奇跡 」と言わずして、なんと言うのか。
この後は固いアスファルト車道の上をヘッドスライディングで滑っていったのであるが、真夏だった事も有ってタンクトップ1丁だったのは最悪だった!↓
先にも申し述べた通りに、バイク自体は逆さまの状態で対向車線を火花を散らしながら歩道橋の下まで滑走していったが、私めの体はそこまでは行かなかったものの、その半分くらいの距離の50メートル位はアスファルトと戯れて滑っていったのを覚えている。
ココまでの派手な転倒劇をやらかしておきながら、無意識が咄嗟に取った「 受け身 」が功を奏したのか奇跡的に骨折すら、していなかったのである。
事故の直後、左端に寄せて路駐していたトラック運転手の男性が救急車を呼んで下さったのだが、さらに目と鼻の先に「 守谷総合病院 」が有ったのも幸運だった。
病院での診察結果は「 全身擦過傷 」という診断でアチコチの皮膚が、めくれてはいたけれども応急処置中に看護婦さん達が「 よくあの事故で、あれだけの怪我で済んだわよね~ 」などと話していたと当時の日記に、綴( つづ )っている。
まさに「 不幸中の幸い 」とは、この事であろう。
さらに両手の指が、ほぼ無傷だったのは革の手袋をはめていたのが功を奏したしたからである。↓
そして、その時に被っていたヘルメットにも大きなキズ跡が残っている。
さらに、かぶっていたのがフルフェイス型のヘルメットだから助かったが、もしこれが半キャップとかだったら、おそらく死んでいた筈だ。↓
もう単車自体を卒業したので、これらの物は全部捨ててしまったが、バイクが原型を留めているのは何かに衝突した事故では無い幸運の証しである、という事が言える。
このことからも、バイクに乗る時には装備が重要だと痛感したのだが、それ以上に一番、気を付けるべきなのは無謀な運転を戒めるべきである、と言う反省であった。
よく「 運転は運を転がす 」と言われるがしかし、それでもやっぱり運が悪いと死ぬ。
この時は「 運 」に助けられて「 九死に一生 」を得たのである。
命あったことに感謝しましょう!
— Cyapu@林住期 (@cyapu) January 11, 2020
冒頭の写真からはイマイチ伝わってこないが結論から申せば、このバイクは廃車にせざるを得ない程、実際には大破していたのである。
しかし、これはどう考えても幸運以外の何者でもない。
私め自身が死んだり植物人間にならなかったのもモチロンだが、それ以外にも「 たまたま対向車が来なかった事 」なども、非常に大きな要素で有ったと感謝している。
単車なんて所詮は「 物 」なので、いくらでも替えが利くが人間は、そうも行かないからである。
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